予科練平和記念館
予科練平和記念館 に行ってまいりました。
場所は 茨城県稲敷郡阿見町 にあります。
2010年2月2日に開館したモダンな建物です。 すぐ近くに住んでいるのに
新しく、予科練平和記念館 がオープンしたことをつい最近まで知りませんでした。
駐車場のすぐ横が 零戦の実物大模型の格納庫です。
窓がたくさんあるモダンな建物です。 どこからでも空が見えるというコンセプトだそうです。
建物に入ると内部は写真撮影禁止でしたので、以下の写真はダウンロード公開されているリーフレットから
展示されています。 二週間に一度の日曜日のお休みに1円持って外出したときには
お汁粉やお饅頭や大福などの甘いものを食べて、近所の大きな農家の人がもてなしてくれた倶楽部に
行くのが楽しみだった普通の少年たちの様子がわかります。 予科練から出す手紙は
すべて検閲されるので、本音を書いた手紙は農家の人に託して実家に送ったそうです。
予科練では、14歳半から17歳で選抜された少年たちが勉強しています。これは、実験風景です。
<追記7/26 実験の内容を失念してしまったので問い合わせたところご回答をいただきました。
実験名
○煙風洞実験『けむりふうどうじっけん』
実験の内容
○飛行機が飛んでいるときに翼面にどのような気流が生じるのかを実験するものです。
写真向って左からお線香の煙を流し、気流の動きを目で見て確認します。
追記ここまで>
教科によっては、現在の大学1-2年生ぐらいのハイレベルの授業が行われたということです。
最初は3年間かけて教育しましたが、どんどん短くなって、戦争末期は6か月にまで短縮されました。
散髪風景 現代でも通用する美少年ですねー
軍艦の中では空間を有効に使うために、ハンモックで寝るので
予科練生もハンモックで眠っているお写真がありました。
時間割や入試問題の展示もありました。
これは 人間魚雷の回天の実物大模型です。
特攻隊って戦闘機零戦と桜花だけだと思い込んでいたのは違いました。
爆弾を積んだベニア板モーターボードの震洋(しんよう)も特攻作戦のひとつでした。
『特攻隊の最後は、飛行機も船もなくなって、地面に穴を掘って爆弾を抱えて人間が潜んで
本土にやってきた外国の戦車を爆破する訓練まで行っていました。
平和は、自然にあるものではなくて意識して守らなくては続かないものです。』
海軍の別れの挨拶 帽振れ(帽子をとって頭上で円形にまわす)を実演してくださいました。
予科練では、少年たちがすぐに飛行訓練をするのだろうと思っていたことも誤解でした。
卒業して「予科」が取れて練習生になってから初めて飛行訓練が始まります。
知力、体力、心力を鍛える教育が行われていた全寮制の教育機関だったと理解できました。
予科練平和記念館から 歩いてすぐのところにある
陸上自衛隊武器学校土浦駐屯地の有刺鉄線の柵の中に入ると
庭園雄翔園と予科練記念館(雄翔館)があります。
昭和43年開館なので私が小さいころに父に連れられて来たたこともあるし
息子が小さい時に連れて来たこともありました。
亡き父はよく山本五十六元帥の話をしていました。
アメリカに留学した経験があり、日米の国力の差を良く知っており開戦に強硬に反対したために
国内にいると、戦争をやりたくて仕方がない勢力に暗殺されてしまうので
指揮しました。 有能な指揮官であったために米軍によって撃墜され戦死しました。
19歳や20歳の若さでお国のために命をささげた特攻隊員たちの遺影を前にすると、
私も友人も無言になりました。
海軍の制服はもともとはセーラー服であったものが不評で
7つの金ボタンの詰襟制服に変更したところ志願者が増えたのだそうです。
現代の私立学校にとっても制服は募集上重要なファクターです、
この時代の海軍も制服は応募者数に影響したのですね。
記念館の外に出ると上空を戦闘機ではなく、成田空港を離発着する旅客機がしばしば
通過し平和な現代に生きていることに感謝しました。